「正解」?「最適解」?

山口拓己

みなさん、こんにちは。
教育学部3年の山口拓己です。

今回ブログを担当することになりました。
ブログって自分を表現するツールの一つとしてとても良いものですね。頑張って書いてみます!

そんな前置きはさておき、本題に入ります。
サッカーは90分間の試合中において常に状況を認知し、その認知の結果からどのようなプレーをすれば良いか考え選択し、実行しなければなりません。当たり前の事のようですが、これが難しいわけです。上記の一連の事を完璧に出来たら、バロンドーラーになれるでしょう。もし素晴らしい人工知能を持ち、なおかつ人間と同じように四肢を動かすことの出来るロボットがサッカーをしたら、、、なんて考えてしまいます。

少し話題は変わりますが、「正解」と「最適解」の違いについて考えたことはありますか?様々な意見がありますが、
「正解」:選択肢の中で100%のもの
「最適解」:最も「正解」に近い解(70〜80%)
といった違いがあるそうです。(様々な説あり)
説明が下手でごめんなさい笑

僕はこれまでサッカーや普段の生活、はたまた受験やこれからの就職活動などにおいて「正解」を導き出そうとしてきました。
ただ、サッカーのように「正解」が不明瞭、または「正解」が存在するかも分からない事象に対して、「正解」を導き出す為の努力をしても、あまり価値が無いのではないかと思い始めました。いや、価値が無い訳ではないですね。人によってはこれに価値付けをする人もいると思います。僕にとっては「最適解」を導き出す為の努力をする方が合っている、というだけの事ですね。

僕を知っている方は分かると思いますが、本当に幼稚で自分の思い通りにいかないと不貞腐れることもある僕です。こんな性格だから少し考え方を変えてみようと思いました。大学2年生の時です。それが「最適解」を探してみよう、という事です。
カッコ良く言えば、自分を見つめ直すことが少し出来ました。でもまだまだ幼稚です。
だからこそ伸びしろたっぷりの人間だとも思っています。

ここまで「正解」と「最適解」をくどいほど使ってブログを書き進めてきましたが、簡単に言うと、完璧を追い求めて行き詰まるよりも、何事も程々でいいのではないか、それが自分には合っているという話です。
なんで簡単に言わないで遠回しに言うの?って思う方たくさんいらっしゃると思います。
きっとここまでちゃんと全部を読んでくれている方は少ないんじゃないかな?笑笑
何で長くしたかというと、他の人のブログも結構長かったから!それだけ!!

ではでは、ブログを書くのもここらへんまでにして、「最適解」を追い求める旅の続きでもしようか。
「最適解」を追い求めることが自分の人生の「正解」だと信じて。

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