Dチームからの出場戦略
平素よりお世話になっております。経営学部経営学科4年の小泉成史です。
先に断っておきますが、今回は私の普段のキャラとはかけ離れたブログを書こうと思います。敬愛してやまない空気階段もシソンヌも出てきません。ご了承ください。
初戦から苦戦を強いられてきた県リーグですが、ついに昨年の宿敵神奈川工科大学に5-0の大勝を収めることができました。
試合内容としても凱斗や柊、圭、柾也、晶斗、直哉といった4年の活躍があったのは同期として誇らしい限りです。
一方、私はその試合を外から見ているだけでした。時は早いもので、横国サッカー部に入部してから三年半が経ち、16年間の部活人生には終止符が打たれようとしています。
チームに勝利という成果を残している同期たちに比べ、私はこの三年半で1プレイヤーとして何を残すことができたのだろうか?
「大学生活をサッカーに賭してきたがなんの成果もなかったのではないか??」
記録員として試合を見ながらそんなことを考えていました。
今の私が少しでも何か残せないかと思い、自分が何を考え今の立ち位置まで昇格したのか、四年間TOPチーム入りを目指してきた私の戦略を纏めてみました。
書きたいことが多すぎて4000字を超える大ボリュームになってしまいましたが、私がこの先TOPチームで出場できればBチームのバイブルとして。
このまま出場できなければ絶対に参考にしてはいけない失敗談として、このブログを読んでいただきたい。
どうか最後までお付き合いお願いします。
「Dチームからの出場戦略」
目次
・1年目 “基礎レベルを上げる一年目”
ポジション:ボランチ
フォーメーション:4-2-3-1
高校サッカーの選手権を見て大学でもサッカーを続けることを決めた。
「こんな熱い仲間に囲まれて、応援団がいる中で試合に出られたらなんてかっこいいのだろうか。このままでは終われない。大学でこそ本気でサッカーと向き合ってやる」
しかし決意とは対称的に私の大学サッカーのキャリアはDチームからスタートした。
入部した時から一貫して変わらない目標は「県リーグで活躍すること」
ただ周りの実力を見てもあと一、二年でTOPチームの試合に出場できるとは到底思えなかった。
4年の秋リーグで試合に出るために、初めの一年の時に定めた三つのことは今の私の糧になっている。
一 パスコンを極める
二 周りの選手との差別化を図る
三 筋トレを続ける
一 パスコンを極める
ボールを止めるということがこんなにもできないとは思わなかった。
高校まではなんとなくで流してきた“ボールを止めること” “ボールを蹴ること”やればやるほど奥が深い。自主練はとにかくパスコンに時間を割いた。これができなければそもそもサッカーにならなかった。
長期オフは特に技術を伸ばすチャンスだと思っていた。
みんなが休んでいる時に練習すれば前に出ることができる。
横国の選手は律儀に長期オフ中にしっかり休んでくれるのでその間、矢部君と竜馬と永遠パスコンをした。この自主練の時にやっと良いトラップの感覚をつかめるようになってきた。
二 周りの選手との差別化
高校までになんかしらのキャリアがある人間。横国のスタメンはそんな人が多い。彼らは最初からAチームか、一年の初めはDからスタートしたとしても、二年ではTOPチームにいる。
そんなTOPチームの彼らと同じことを同じ量するだけでは永遠に平行線で勝てない。
だから差別化が必要だと考えた。
一年目の私が目指したのはセカンドボールへの反応の速さと沢山走ること。
足元が下手なMFだからとにかく守備で走り回ることとセカンドボールを拾う。
トランジションの重要性はよく言われていることだが、Dチームはとにかくプレースピード、トランジションが遅い。だからひたすらにトランジションを意識するだけで首脳の目に留まるしそれだけでCチームに上がることができた。
特に自分は足元の技術が下手だからこそトランジションが早いと思っている。
横国に限った話だと思うが、上手い人は味方のミスに対して予期せぬミスなので反応が遅れる。怒ったりしている。自分は技術のなさから、そもそもミスが起きる前提で意識の準備をしているので、誰よりも早く切り替えができた。
今下手な人はチャンスだと思ってほしい。
三 筋トレ
当時の横国サッカー部では筋トレは今ほど浸透していなかった。
産能や関東学院との対戦後は口をそろえて、“フィジカルの差がでかい”とか言うくせに実際に鍛える人は少ない。
ここにも差別化要因があると考えた。
162cmとかなり小柄な体形だがとにかく競って勝てる体を作る。高木に負けないくらい。
四年間筋トレを続けたらどんな体になってしまうんだ?なんて妄想して筋トレを始めた。
最終的に一年目はCチームとDチームを行き来する40番目くらいの選手だった。今、一年の最後の練習試合を見返してみてもビルドアップのビの字もないくらいひどいものだった。
・2年目 “差別化を図る二年目”
ポジション:アンカー→インサイドハーフ
二年目はフォーメーションが4-1-4-1に変わったため、アンカーでスタートしたが、足元の無さから全く適応できなかったのですぐにインサイドハーフに転向。
インサイドハーフとして打ち出した差別化要因はフリーラン。横国のMFの選手は足元でボールを受けたがる選手が多い。ド下手くそだったのでとにかくボールを触らなくても貢献できる役割を探した。
それがフリーラン。
周りの選手がフリーになれるように動く。裏に抜ける。守備では走り回る。
中盤におけるハードワークという希少性が認められて、5月にはついに練習でA.B2チーム分けのAチーム入りを果たす。春リーグでは怪我人が続出し、運良く2度ベンチに入ることもできた。
しかしその後はAチームでは活躍することができず、攻撃センスのなさから、押し込みの練習ではめちゃくちゃに怒られAとBを行ったり来たりしていた。
大体30番目くらいの選手。
二年目は特に筋トレに打ち込んだ。通常、練習試合やIリーグ(Bチームの大会)があるが、私が焦点を当てている試合は4年の県リーグ、そのため二年次は調整など行わなかった。4年の時に最高のパフォーマンスを出せるように。ここで目の前の試合のために筋トレを休んだら最後で後悔すると思いバチバチに筋トレしていた。
2年目の最後はA.B.C.DのCチームで終わった。ビくらいは見えてきた。
そんなAには程遠い立場だが、選手と監督を両立する三年目に突入する。
・3年目 “サッカーを勉強した三年目”
ポジション:サイドバック
フォーメーション:4-4-2
二年目の終わりにあることに気が付いてしまった。
「MFでは勝ち目がない」
足元のないMFとしての限界を感じていたし、海里、圭、岸と比べ自分のプレーの幅の狭さでは到底勝てないと現実を見た。
そこで3年目の春にSBにポジションを変えた。SBなんてやったことがなかったけど。
当時、SBは人材不足で悩んでいたし、MFの経験からSBにしては間でボールを受けられるという差別化を図れると考えたからである。
三年目は選手兼監督という役職になり、自分が出るより他の選手を試合に出すスタンスだったため、試合に出る機会はぐっと減った。なのでこの年ではSBに関してはほとんど成長しなかった。
対人で厳しく当たれて、たまに間で受けられるくらいのSB。
プレイヤーとしてはその程度だったが、監督だったのでとにかくサッカーの勉強が必要だった。ビルドアップの形。守備戦術。沢山プロの試合を見る。ノート書く。
この勉強はこれから先のプレーにとって大きな収穫となった。
周りの選手のポジショニングや相手のフォーメーションを意識しながらサッカーができるようになったし、試合の見方がただ応援するだけから、何か一つでも学べることはないかという意識に変わったのだ。
プレーはあまりできなかったが、サッカーについて詳しくなれた三年目はサタデーに途中で出られる20番後半くらいの選手で終わった。
・4年目 ”限界値を上げた四年目””
ポジション:サイドバック
フォーメーション:4-3-3
石橋さん、あつしさんが来てくださったり、自分のプレーに今まで以上に集中できたりで一番伸びた年。
ラストチャンスのこの年、試合に出るためには?
TOPチームのサイドバックに足りていないことは何か。
TOPの三人はとにかく縦に速く、上下運動の激しい攻撃的なタイプ。
彼らは大外で生きるため、しばしばWGが内側に入らなければいけないという弊害も起きてた。
また、三人とも素晴らしいフィジカルを持っているが、距離を詰めてきての守備は行わない。特に沖は引いて待つ守備が多い。
だから今年は“距離を詰めるDF”と“内側にポジショニングが取れるSB”この二つで勝負をかけた。
DFの面では柾也・凱斗との自主練でとにかく距離を詰める練習をする。
普段の練習でどれだけ負けようが、巧登にぼこぼこにされようがビビらずに距離をガンガンに詰めに行く。
悲しいことに去年あまり試合に出ていなかったことにより、DFとしての裏の対応やライン設定について全くわからないことが判明した。
そこはとにかく試合の中、後にすり合わせる。
わかんないことは人に聞きまくる。
先輩後輩なんて言っていられない。
晶斗、直哉はもちろんのこと今年は一緒に組むことが多い葛西、竹にはたくさん聞いた。沖の1on1でも自分の方が相談に乗ってもらったりもした。
三年間の努力と運の甲斐もあって4年目はずっとAチームで過ごすことができた。Aチームで過ごす時間が長くなり、衝撃を受けた。
引退まで残り半年を切った8月。
「あれ。俺のしてきた努力って本当に努力だったのか」
Aでは明らかにBよりも一歩頑張れる人が多い。祐雅を見てればよくわかると思う。
今までの自分がしてきたことは自分の限界値を対して引き上げない努力だったように感じた。高校時代の弱小のメンタルのままだった。身長を恨んだりもしてた。
8月に気が付けてからは自分の中の限界値を引き延ばすようになった。苦しいところからあと一歩。弱い自分を払拭するために。
去年から止まっていた筋トレのウェイトも増え始めた。
そうしているうちに秋リーグが始まり、二節横浜商科大戦では遂に途中出場することができた。
完全なる記念出場。
試合の後、倫也や航平達から祝いの言葉を貰いました。
まさかあの一年Dチームの中から県リーグに出場する人が出るとは、、、
お祝いの言葉は確かに嬉しかったが、自分が目指しているのは実力で勝ち取ることだから試合に出たことは全く嬉しくなかった。
年々サッカーが上手くなっているのはすごく実感している。もう一年、もう二年部活でサッカーを続けられれば、、自分はもっとサッカーが上手くなる。絶対試合に出られる。本当そう思う。
しかしタイムリミットは刻刻と迫っている。
「県リーグで獅子奮迅の活躍をする」
4年間追い続けたこの目標を達成するために、最後の最後にピッチに立っているために私は限界を超えていく。
試合に出る準備はできている。
まだ結果も出していない私のブログでしたが最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
今後とも横浜国立大学サッカー部をよろしくお願いいたします。