紅蓮華
平素よりお世話になっております。今回部員ブログを担当する経営学部経営学科一年の本江右京です。
初めに、現在も新型コロナウイルスの影響によりご尽力いただいている医療従事者の皆様、関係者の皆様に深く御礼申し上げます。
今回部員ブログを書くにあたって自分が何を書くべきなのかとても悩みました。ブログを書き始めた今でもまだ少し悩んでいます。GKをやっていて思う不満を箇条書きにして提出しようかとも思いましたが、書いているうちに結局は自分の実力不足が原因のことが多いなという結論に至り踏みとどまりました。何か書くことを思いついてはこれじゃないというのを何日か繰り返しているうちに段々と自分の書きたいことがぼんやりとですが定まってきたので、かなり長文になってしまいましたが、自分なりに精一杯本気で書いたので最後まで読んでいただけると幸いです。
2020年春、コロナウイルス感染拡大によりほとんどの授業がオンライン上で行われることが決定し大学生活がスタート。私の実家は宮城県にあるので大学に入ったら一人暮らしを始める予定でしたが、全面オンラインということで住む予定だった家を借りるのを止めて実家で大学生活を始めました。サッカー部に入ったのもこの時期です。
コロナの影響で4、5月はグラウンドで練習することはできなかったので、ボールを使って練習を再開できることが決まったのは7月に入ってからでした。その頃まだ実家にいた私は練習が再開することが決まってから急いで横浜に行く準備を進め、決定から二週間ほどで実家を出て一人暮らしを始めました。実際に横浜で一人暮らしを始めることができたのは最初の練習日の前日で、急遽準備を進めたため自分の家にはWi-Fiも机も洗濯機もありませんでした。Wi-Fiがないので動画を見ることもできず、テレビも持っていなかったので毎日寂しくてしょうがなかったです。
何はともあれ、私の横浜での一人暮らしと部活動がスタートしました。最初の二週間くらいはほとんど毎日カラオケに行き、そこのWi-Fiを使って授業を受けていました。英語プレゼンテーションの授業で私が発表しているとき、隣の部屋の紅蓮華を熱唱する声が入ってしまったこともあります。
私はとっている授業の時間の関係でほとんど朝に行われている練習のほうに参加していました。朝練習の日は朝5時に起き、すぐにご飯を食べて前日の夜用意していた荷物を持ってグラウンドに向かいます。グラウンドに着いたら練習で使うものを用意してアルコールを使って除菌、ボールの空気圧の確認などの作業を行います。そうしてやっと練習をすることができます。練習中にはいつもではありませんが、プレーについてや意識の低さについて怒られることもあります。練習後も練習前と同様に除菌をして荷物をしまう作業をします。
課題などを溜め込んでしまうと夜寝るのが遅くなる日もあり、次の日の部活がより一層きつくなります。私自身、三時間しか寝ることができず次の日の練習試合に出たことがあります。
裸足で芝の上に立つと熱すぎて立っていられないような猛暑日にも練習をしましたし、足先の感覚がなくなるほど寒い冬の早朝にも練習をしました。毎日のように練習をしていると、どうしてもモチベーションが上がらない日、玄関のドアを開けるのが嫌で嫌でたまらない日もあります。それでもグラウンドに行って練習をしました。
パッと思いつく限りで今年度の部活動をやっていて辛かったことをここまで挙げてみました。私はいわゆるサッカーエリート、つまり強豪校のサッカー部出身で全国大会に出場していたような選手ではありませんし、秀でた身体能力があるわけでもありません。それではなぜ私は上に挙げたような辛い思いをしてまで大学でサッカーを続けるのか。この問いの答えが私が今回の部員ブログで書きたいと思ったことです。部員ブログを書き始める前、自分がサッカーを続けている理由を考えたときに答えはすぐには出てきませんでした。深く考えたとき、私は自分のこれまでのサッカー人生にその答えがあるのではないかと思い至りました。ここからはその思考の軌跡を皆さんにも辿っていただきたいと思います。
私がサッカーを始めたのは5歳のときで、近所のサッカーチームに入りました。きっかけは友達がやっていたからとかそんな単純な理由だったと思います。たくさんの思い出がありますが、今回は先に挙げた問いの答えに直結するものだけを抜粋していきます。
小学生の時、試合でゴールを決めた後の光景で今でも覚えているものがあります。その試合はわりと大きな大会の予選だったと思います。1対1の同点の場面で、フリーキックのチャンスが巡ってきました。味方が打ったフリーキックがポストに当たって跳ね返り、その浮いたボールを私がダイビングヘッドして自分の体ごとゴールの中に入りました。起き上がったとき私が目にしたのは、普段はくだらない話で笑い、一緒にふざけあっていたチームメイト達が歓喜の声を上げながら私のもとに駆け寄ってくる光景です。さらに、父兄の方々の喜ぶ声が耳に入ってきます。ベンチにいた味方の声も入ってきます。何十人もの人が自分のプレーひとつでこんなにも喜んでいる。嬉しいでは表しきれない感情をその時感じました。
中学生の時、オスグッドという膝の怪我をしてしまい2年生の夏から1年間ほとんど練習できない日々が続きました。見ているだけでもチームの勝利に喜び、敗北に悲しむことはできます。ですが、味方が円陣をしている姿や試合後に改善点を話し合っている姿を見て、自分はあの中に入ることができないのだという寂寥感に襲われました。味方のその姿に憧れていたのだと思います。
高校生の時、怪我が完治していなかったこともありGKとしてサッカー部に入部しました。新人戦の県大会出場校を決める試合で、同点のまま延長までもつれた試合があります。味方が延長前半に先制点を決めリードしている中、後半の残り時間わずかのところで相手のフォワードと一対一のピンチが訪れました。どうやって止めたか覚えていませんが体の一部にどうにか当てることができ県大会出場を決めました。試合後、相手の顧問の先生が「相手の1番(私)と10番(チームメイト)にやられた」と言ってたというのを聞き誇らしい気持ちになったのを覚えています。帰りの車の中では体はボロボロで全身痛かったのですが、それすらも心地よく感じました。
このように自分のサッカー人生を振り返っていて気づいたことがあります。
私はサッカーというスポーツの魅力に心底取り憑かれてしまっているのです。
点を決めた時、止めた時の興奮、その喜びをチームメイトと分かち合えること、努力が実を結ぶ瞬間、決して劇的なシーンだけではない語りきれない全てがサッカーの魅力です。
一度これらの喜びを知ってしまった私にはサッカーから離れることはできません。一種の中毒のようなものだと思います。
これが考え抜いて出した、先の問いに対する私なりの答えです。
しかし、まだ私はチームの目標を達成したという喜びを感じることができていません。中学校の東北大会出場も高校の県大会ベスト8入りもあと一試合勝てばというところで負けました。国大サッカー部の目標は関東二部リーグに昇格することです。私はこの目標を達成することができた時の喜びをどうしても今のチームメイトと分かち合いたい。成し遂げた時、私は一層サッカーのとりこになっていることでしょう。
大ボリュームになってしまいましたが、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。今部活動をやっている方、部活に入るか悩んでいる新入生が少しでも大学で部活動を続ける意義を考え直すきっかけになれば幸いです。
今後も横浜国立大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いします