当たり前の有難さ

住谷祐太朗

皆さんこんにちは、経済学部2年の住谷祐太朗です。僕は普段から積極的に自分の意見を発信することはないので、今回部員ブログを書くにあたってかなり緊張しております。拙文ではありますが、少しでも皆さんの時間を頂戴できればと思います。さて、今回の文章では最近個人的なテーマとして設定した「当たり前の有難さ」に焦点をあてていこうと思います。実はこのテーマは以前にも設定したことがあるのです。

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、僕が生まれ育った茨城県那珂市は震度6強の激しい揺れに襲われました。地震が起きた瞬間、当時小学5年生だった僕は学校の教室にいました。次々に床に散らばる教科書やノート、クラスメートの悲鳴。身を守るために隠れた机の下で「俺、死ぬのかな」と震えていたあの時を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。幸いなことに怪我はありませんでしたが、しばらくの間は電気や水道を使えない不便な生活を強いられることになりました。また、残りの登校日はなくなり、土日にあったサッカー少年団の活動も一時停止となるなど、震災の影響は日々の生活のあらゆるところに及びました。当たり前だった生活は一瞬で奪われてしまったのです。僕はこの震災を通して「当たり前の有難さ」を学び、これからの人生では当たり前なことへの感謝を忘れずに生きていこうと決めたのです。いや、決めたはずでしたが、時間が経つにつれてその決意は徐々に薄れていきました。震災での体験は確かに覚えているものの、今送っている生活が再び脅かされることはどうせないのだと、心のどこかで思っていたのでしょう。

しかし、その根拠のない予想は数年のうちに間違いだったことが分かります。そう、新型コロナウイルスによってです。正直なところ、中国や欧米等で流行している間は「どうせ海の向こうだけの話だ」と、日本国内でちらほら感染者が出始めてからも「どうせ自分への影響はさほどないだろう」と高を括っていました。どこにも保証などあるはずがないのに、自分の生活が脅かされるなど考えもしませんでした。ところがマスク等の日用品が入手しにくくなったことから始まり、大学でのオンライン授業や部活動の自粛など徐々に生活を蝕まれるなかで、僕はようやく「当たり前の有難さ」を思い出しました。僕たちの生活を取り巻く「当たり前」は「多くの人の努力と僅かばかりの幸運の上に成り立つ、文字通り有り難い当たり前」なのです。そしてこれはサッカーも無関係ではありません。例えば、昨年から人工芝のピッチで練習に取り組めるようになり「恵まれた環境でサッカーが出来ることに感謝しろ」と言う話を何度も聞きました。確かにただの国立大学で今のような環境でサッカーが出来るのは学校やマリノス、スポンサーの支援などがあってこそで、もちろんそこには感謝すべきだとは思います。しかし、感謝すべきはそれだけではありません。当たり前のようにグウランドに集まり、当たり前のようにチームメイトとサッカーに取り組める環境があることにも感謝すべきなのです。僕はこの自粛期間で「当たり前の有難さ」を再確認できました。これを胸にこれからの部活動、そして日々の生活に取り組んでいきたいと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。この文章を通して僕の思い、そして「当たり前の有難さ」を少しでも皆さんにお伝えできれば幸いです。最後になりますが、横浜国立大学体育会サッカー部への変わらぬご支援とご声援の程よろしくお願い致します。

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